2010.05/23(Sun)

Op.44 マーラー編曲:シューベルト「死と乙女」(弦楽合奏版) by ウェルザー=メスト

昨日の夏日から、今日は一転して小雨が降る長袖と傘の出番になってしまいました。
雨降りの日の方が落ち着いて音楽鑑賞ができるような気がします。

先日はシューベルトの弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」を聴き、
続いて14番の「死と乙女」を聴くことにしました。
と言いましても、マーラー編曲に依る弦楽合奏版です。
私にとってはまだまだ不可解(?)なところが多いマーラーです。
ミュージック・バードで先日、OAされましたので取り敢えず聴いてみました。
取り敢えず…の軽い気持ちでしたが、何と、素晴らしい「死と乙女」でした。
感動的とさえ言っても過言ではないような、と思います。
気に入ってしまいました。

  
          シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」
               マーラー編曲 弦楽合奏版


               マーラー編、シューベルト「死と乙女」

               フランツ・ウェルザー=メスト指揮
               カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク



吉田秀和氏に依りますと、

 「《死と乙女》には、マーラーが若いころ弦楽アンサンブルに編曲した版がある。
  それぞれのパートに複数の楽器をあて、さらにコントラバスも付け加えて弾くようにしただけのもので、ほかに新し声部、新しい音が付け加えられたわけではない。」

  また
  
 「マーラーが他人のオーケストレーションに手を加えるのは、自分が演奏会に取り上げた時や、必要に迫られて編曲をした。」とも。

氏の推測から、この作品の編曲にに関しても、弦楽合奏を指揮する上でのレパートリーとして編曲をしたのではないかと。

云々、お書きになられれていらっしゃるのですが。
「コントラバスも付け加えて弾くようにしただけのもの」・・・とのことですが、
それが何と、聴いてみますと、壮大でシンフォニックな素晴らしさ!ではありませんか。

前回、シューベルトが友人のクーぺルヴィーザー宛ての手紙の中で、

  「弦楽四重奏曲2曲(「ロザムンデ」「死と乙女」)と八重重奏曲を
   1曲作曲したが・・・。
   このようにして大きな交響曲への道を開いていこうと思っている。」と。

手紙の中の「大きな交響曲」への道を切り開くというシューベルトの思いは、
「死と乙女」に於いて実現されているように思えました。
但し、マーラー編曲に依る弦楽合奏版を聴きましての感想です。
すでに交響曲の趣を備えている・・・交響曲さながらの作品ですね。
人生に対する悲観、悲劇性は、この作品の持つ劇的さにより、
「悲」を否定し、精神の強靭ささえもが伝わってくるようです。

改めて書くこともないのですが、
「死と乙女」の第2楽章の変奏曲の主題となっているシューベルトのリート作品で、
同名の「死と乙女」D.531 についてですが、
1817年2月に作曲された、シューベルト20歳の時の作品とのこと。
歌詞は抒情詩人のクラウディウスで、死と少女の対話になっているそうです。
歌詞の大筋は、

  乙女:「あっちへ行っておくれ。荒々しい死よ。
      私はまだ若い。行っておくれ、私に触らないで。」
  死: 「手をお貸し、美しく優しい娘よ、わしはお前の友達だよ。
      お前を罰しに来たのではない。元気をお出し。
      わしは乱暴なんかしない。わしの腕の中で安らかに眠らせてあげよう。」
                                    (大木正與)

 
                           ぱたぱた:bird2すずめ(左)S
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2010.03/16(Tue)

Op.33 マーラー《大地の歌》 by クレンペラー

                マーラー:交響曲《大地の歌》
                        by
              クレンペラー&フィルハーモニアO.
    

               マーラー:「大地の歌」 クレンペラー


               クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
               フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール)
               フィルハーモニア管弦楽団
               ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
               オットー・クレンペラー(指揮)
               (1964-66年、セッション録音)


今年がマーラー生誕150年のアニヴァーサリー・イヤーとのことを、
ブログを拝読しまして知りました。
今年こそ、今度こそ、マーラーを・・・年が変るたびに同じ決心の繰り返しです。
マーラーの作品は、苦手なのです。
怖気づいてしまっている年月です。

云十年前に入手しましたLP《巨人》は一回、レコード針を通しましただけで、即お蔵入り。
歌曲集の《さすらう若人の歌》はディスカウでしたので、辛うじて聴いたりしていましたが。
どうも、どうしても、マーラーに対する苦手意識には自分でも手が付けられませんでした。

マーラーに二の足を踏むのは 暗鬱 のイメージしか抱くことができませんでした。
暗鬱で、訳がわからず、共感できないと・・・マーラーを避けていた長い年月でした。

過日、ヴンダーリヒのCDを聴いていました日々にコメントを頂きました。
マーラーの《大地の歌》でヴンダーリヒのCDがあると。
お気に入りのヴンダーリヒで是非、聴いてみたいと思いつつ、
またまた、数ヶ月が過ぎてしまいました。
また、ブログ仲間の御方が《大地の歌》では、キャスリーン・フェリアーがとても素晴らしいとのことで、フェリアーでも聴いてみたいと思いましたのが昨年暮でした。
マーラーに関するブログを拝読する日々、次第に惹かれてまいりました。

意を決し、勇気を出して・・・タジタジとしつつもマーラーを聴くことにしました。
《大地の歌》にしました。初めて聴く作品です。

第1楽章、早々にオーケストレーションに耳を奪われ・・・かなり強烈な感じを受けました。
   素晴らしいではありませんか!
   旋律も美しい!
   面白いではありませんか!
今まで、マーラーの作品に抱いておりましたイメージが覆されました。

第1楽章:大地の哀歌に寄せる酒の歌(詩:李太白)
第2楽章:秋に寂しき者(詩:銭起)
第3楽章:青春について(詩:李太白)
第4楽章:美について(詩:李太白)
第5楽章:春に酔える者(詩:李太白)
第6楽章:告別(詩:孟浩然、王維)

中国の詩人達の詩をハンス・ベートゲという人が訳詩集「中国の笛」として1907年に出版したものに作曲されたそうです。
この詩集を、マーラーの妻アルマの亡父の親友テオパルド・ポルラクから贈られたマーラー。
このポルラク氏はマーラーの作曲意欲をそそる詩を探してはマーラーに届けたそうです。
傷心のマーラーの心の慰めになった「中国の笛」。
1907年の秋に完成。マーラー48歳。

詩は何とも気の滅入るもので・・・人生に対する諦観。
ですが、マーラーに生み出された《大地の歌》からは諦念を超越したものを感じます。

この頃のマーラーは、死の恐怖と自分の挫折感と闘っていたとのこと。
《大地の歌》に先立つ交響曲第8番《千人の交響曲》がマーラー自身の指揮で1910年に初演され大成功だった時のエピソード。
演奏終了後に熱狂する聴衆の中にいた一人の若い音楽家が言ったそうです。
  「ああ、この人は長くないな」と独り言。
   そして、続けて、
  「あの人の目を見てご覧なさい。人生の勝利者で、
   新しい勝利に向かって進んで行く人は、あんな目をしているものではありません。
   あれは死に神にとりつかれている人の目ですよ。」
マーラーの伝記を書いたリヒャルト・シュペヒトの評伝の中にある話だそうで、
シュペヒト氏がその音楽家の言葉を聞いたとか。

絶えず死を意識し、人生への疑問を抱きつつ、音楽作品へと昇華させたマーラー。
ブルーノ・ワルターの著作「主題と変奏」中に次のような文章があるそうです。
  「マーラーが考え話し、作曲したことはすべて根底において
  『何処より、何処へ、何のために』という問題を巡っていた。」

また、マーラーから初演を依頼されたワルターは、渡された《大地の歌》の総譜に対し、
  「またとなく、情熱的で苦渋で、諦念にあふれ、
   しかも人を祝福する、別離と消滅のこの響き、
   死神の手に触られた者の、この最後の告白とともに、
   この上なく感動の時を過ごした」との記述も。
 

この歌詞に込められている感情は能天気な自分には残念ながら共感は難しく。
鬱々とした感情を想像しつつ。
ヴンダーリヒとルートヴィヒが織り成す物語に耳を澄ませ・・・。

第1楽章「生は暗く、死もまた暗い」
耳を覆いたくなる歌詞なのですが・・・死に対する勝利への望み(?)、
内に秘めた生命力すら、旋律に聴き取れるようです。
ヴンダーリヒの声が明るめ(?に聴こえるのですが)なのが、ここではぴったりのように感じられます。
第2楽章の「心は疲れ果て、一人孤独のうちに涙ぐむ」
深い寂寥感の奈落・・・想像がつかないのですが。
叙情的なものすら感じます。
第3、4楽章になり、やっと奈落からの脱出(?)し、「生」の明るい兆しに聴いていてホッとするのも束の間。
第5楽章で「人生がただ一度の夢ならば」と・・・。
第6楽章で、耳を奪われるのがオーボエの響き。何とも切ない響き。
この終楽章で、マーラー自身が歌詞を追加したそうですが。
    愛する大地に春が巡りくれば、至るところ花は咲き、
    樹々は緑に覆われるだろう。
    至るところ、永遠に遠い果てまで青く輝くだろう。
    永遠に、永遠に・・・。

マーラーが追加した歌詞を読みますと、
死に対する恐怖、と言うより、死への憧憬すら感じてしまいます。

奇数楽章はテノールだそうで、ヴンダーリヒの声が明るめなのがせめてもの救いです。
偶数楽章のクリスタ・ルートヴィヒの深々とした落ち着いた響きの声には聴き入ってしまいました。
聴いているうちに、ルートヴィヒに比しヴンダーリヒが表面的にすら感じてきてしまいました。
とは言いましても、こちらの録音の2ヵ月後にヴンダーリヒは死去ということで、ヴンダーリヒがお気に入りな自分にとりましては、内心複雑です。
レナード・バーンスタイン盤ではディスカウが起用されているそうですが、微妙なニュアンスの表現に長けたディスカウでも一度聴いてみたいと思わせる《大地の歌》になりました。

マーラーの作品・・・聴かず嫌いであったようです。
マーラーの作品を聴くキッカケを与えてくださった御方々に、
ありがとうございます!!
 
  
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タグ : マーラー 大地の歌 クレンペラー ヴンダーリヒ クリスタ・ルートヴィヒ ブルーノ・ワルター

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