2013.04/06(Sat)

Op.188 江時久著:「本当は聞こえていたベートーヴェンの耳」

本のタイトル「本当は聞えていたベートーヴェンの耳」を読み ??? になりました。
単なる面白、可笑しいだけの興味本位の書籍なのか・・・それとも。
タイトルに惹かれて手にしてみました。
1999年初版発行ですから、すでに14年前に出版された本です。
読み終え、今迄ベートーヴェンに抱いていた人間像に少なからず変化が生じました。

ベートーヴェンに対し

  ああ、そうだったの!
  ああ、それでだったの!

妙に納得をすることが多くありました。
今迄は 当然であり当たり前で あったベートーヴェンについて
以前とは違う視点からベートーヴェンの人間像に触れることができた気がします。
好奇心で手にした本でしたが出合うことができて良かった、と思いました。


            江時久著:「本当は聞えていたベートーヴェンの耳」

           (Amazon)本当は聞こえていたベートーヴェンの耳
                   (NTT出版 1999年 初版発行)


著者、江時久氏は幼少時より聴覚障害に悩まされ
29歳(1931年生まれ)の時に手術にて左耳の聴力が回復したそうです。
自らの聴覚障害の苦悶葛藤などの体験から
健常者には測りがたいベートーヴェンの心を
時として代弁をしているかのように感じ取れる個所も多々ありました。

江時氏は あとがき に於いて
「最初はごく軽い物を書くつもりだった」と記述されていますが
次第に四苦八苦をしたり、放棄したくなった想いも抱いたとか。

読み始めた時には小説かと思いました。
登場する2人の人物。
新聞社のボン支局長五島勉とドイツに到着した佐貝耕一との会話から始まります。
2人の会話でベートーヴェンの話題では『伝記ノート』が取り上げられています。
佐貝は『伝記ノート』についてのヴェーゲラーの記述に対し
  
   「もし『伝記ノート』に嘘が書いてあったとしたら、
    ベートーヴェンの青春時代は間違いのまま信じられていることになるわけ
    なんだな」

と、著者は佐貝の言葉にてヴェーゲラーの記述についての信憑性に疑問を投げかけます。
著者はベートーヴェンの難聴がボンの少年時代に発症しているとの仮説を提示します。

ベートーヴェンのボン時代の資料としては1838年に上下2巻として出版された
ベートーヴェンのボン時代からの友人で医師のフランツ・ヴェーゲラーと
ベートーヴェンの弟子となり音楽家となったフェルディナント・リース共著の
『伝記ノート』しかないとのことです。
この書籍中で触れられているのも『伝記ノート』が最多です。



               (Wikiドイツ)Ferdinand Ries
                       Ferdinand Ries
                 (1784年11月28日-1838年1月13日)



               (Wikiドイツ)Franz Gerhard Wegeler
                    Franz Gerhard Wegeler
                  (1765年8月2日-1848年5月7日)


ヴェーゲラーと言えば医師でベートーヴェンの少年時代の友人とのことで
ベートーヴェンに関しての記述の信憑性を疑ったことはありませんでした。
その信憑性についての詳細な記述には開眼の思いがしました。


ベートーヴェンの難聴は
30歳の時、1801年6月29日にベートーヴェンはヴェーゲラー宛ての手紙で
難聴が27、8歳の時から始まったと書いていることにつき
江時氏はこの手紙自体はベートーヴェンが難聴の悩みを訴える目的で
ヴェーゲラーに宛てたのではなく
ヴェーゲラーからの手紙に対する返事だったと指摘をされています。
然しながらこの手紙の存在で27、8歳で難聴になったと一般的に思われているとも
江時氏は指摘されています。

著者の江時氏は一般に認識されている27,8歳より以前のボン時代に始まったと
推測をされています。

その根拠として
少年ベートーヴェンは1782年から85年、12歳から15歳までは
ボンで活発に作曲をし出版していたとのこと。
15歳頃から18歳までの間は作曲の空白期間だったそうです。
そこで江時氏はベートーヴェンの聴覚障害を「あぶみ骨」固着の伝音難聴ではないか
と仮定することによって
彼の耳がボンの少年時代から難聴だったかもしれないという憶測をしています。
この点についても江時氏の記述を読むと、納得せざるをえなくなります。

尚、著者はヴェーゲラーについても参考文献を駆使して
ベートーヴェンに対する記述やヴェーゲラーが真のベートーヴェンの親友であったのか
との疑問も投げかけています。
江時氏がその根拠として挙げる文章を読むことにより、これまた、納得してしまうのです。

本当は聞えていたベートーヴェンの耳・・・この本のタイトルそのものですが
本当にベートーヴェンの耳は聞えていたのだと思いました、少なくともピアノの音だけは。
文中より引用をさせていただきます。

「人の言葉は、まったく会話ができない状態になってしまって
 耳元で大きな声で言ってもらわないと通じなかった。
 でも『ピアノの音』は聞えていたのだ。
 骨導聴力はおそらく正常値の範囲にあったと思うのである。
 後期ピアノ・ソナタの息を呑むほどに自在な音の響きの中には
 神を味方にしたベートーヴェンの盛り上がるような劇的、
 詩的な気迫を感じることができる。
 断固として一点の不安もない。
 彼は『あぶみ骨』固着の病気によって独りぼっちになったけれど、
 その難聴の不思議な性格によって近くのピアノの音は聞こえていた。(割愛)
 『人の言葉』が消え去っても、『ピアノの音』は消え去らない」



著者自身への自問自答、仮説、推測、憶測 そして 読者への問いかけをしつつ
話が進んでゆきます。
読みつつ自分なりに考えさせられました。
聴覚障害に起因するベートーヴェンが抱いていた苦悶と葛藤など
一歩一歩、その心に近付くことができるような気がするようになりました。

著者のベートーヴェンに対する敬愛の念を文章の此処彼処から
汲み取ることもできるようです。
以前はベートーヴェンが負っていた心の孤独な悲哀感は想像しかできませんでした。
江時氏の文面を通し、まるで目に見えるかのように伝わってくるようです。

今まで出合ったベートーヴェンに関する書籍の中でも異色であり
末永く心に残る一冊になりそうです。
ベートーヴェンの作品を鑑賞するうえでも
この書籍の存在が大きなものになってきました。

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2011.02/03(Thu)

青木やよひ著:「ゲーテとベートーヴェン」~巨匠たちの知られざる友情

明日は早いもので立春。
春に因む音楽を聴いてみたい気分になります。
が、今日は本のお話です。

ベートーヴェンの名前に惹かれまして
この本を入手してみました。
ゲーテは歌曲を聴く上で欠かすことができない存在でもありますし。
また副題の 知られざる巨匠たちの友情 に興味が湧きました。
ベートーヴェンゲーテとの友情とは?
興味津々で手にした書籍です。

読後の感想は
  この本に出合って素晴らしい時間を過ごすことができました
  気持ちが温まるようです


        青木やよひ著:「ゲーテとベートーヴェン」

                 (2004年初版 平凡社発行)



「あとがき」に
著者はゲーテベートーヴェン両巨匠の関係を詳しく跡付けることが
著作の動機であると記されています。

ゲーテベートーヴェンの関わりについては
通説が誤って伝承されていることにも触れられています。
ゲーテベートーヴェンの関係を多くの資料を駆使して
通説の誤謬を訂正され開眼させられるものがありました。

「真実」を追求する青木氏の鋭い眼力。
この本の底流には
ゲーテとベートーヴェンに対する青木氏の温かい眼差しと洞察力が
終始一貫して感じられました。

ゲーテとベートーヴェンの共通項や
或いは相反することが
第1章、その生い立ちから始まります。

ゲーテとベートーヴェンについて均等に書かれています。
それぞれについて詳細且つ分かり易く記述をされています。
新しい発見が多く
まるで推理小説ででもあるかのように引き込まれてしまいました。

「言葉の音楽家」ゲーテ
「音の詩人」 ベートーヴェン
ゲーテとベートーヴェンが互いに尊敬し信頼し
如何に心を惹き付け合っていたのかを初めて知ることができました。


今まで自分が抱いておりました印象が変わるものもありました。
ベートーヴェンにつきましては
今まで触れることのできなかった素顔のようなものを感じました。

この本の中で特に興味を惹かれましたのは
やはり音楽に関することです。
第5章「両巨匠をつなぐもの」~『ヴェルテル』と『悲愴』の同時代性
に於いての記述は次のようなものです。

ゲーテの『ヴェルテル』とベートーヴェンのピアノ・ソナタ『悲愴』の共通点を挙げられています。
ゲーテ24歳の時の作品『ヴェルテル』に関しては
青春の情念を結晶させたもの。

一方、ベートーヴェン28歳の時に作曲された『悲愴』について
青木氏の文章を引用させていただきますと。

  「運命と格闘しながらその重みに耐え抜こうとする英雄的な悲愴感と
   その果てに生まれた諦念にも似た静かな内的沈潜の世界」

二つの作品の共通として
   「人間の情念や内的ドラマを芸術作品として表現した画期的な試み」
と記述されています。

この本を通しまして
単にベートーヴェンだけではなくゲーテにつきましても
精神性に触れることができる貴重な機会にもなりました。

そしてまた、
ベートーヴェンの素顔ともいうべきものに触れることができ
心が和むエピソードも幾つか。
本の終りに近い第9章「二つの世界の交響」の中に綴られているエピソードです。

ベートーヴェンがどれほどゲーテを重んじていたのか。
そのエピソードの一つ。
ベートーヴェンの「会話帳」から1819年
宮廷顧問官でベートーヴェンが甥の後見人を依頼し
信頼していた友人のペータースとの会話です。
ペータースがゲーテを非難するようなことを言ったようです。
ベートーヴェンは
  「相手が誰であろうと、ゲーテの悪口を言うことを潔しとしなかった」
とのことです。

二つ目のエピソードは
同じく1819年7月にゲーテの腹心の友であり
ベートーヴェンの心酔者ツェルターがウィーンを訪れ
ベートーヴェンに会いたいとの念願を抱き消息を訪ね回ったそうです。
やっと、9月になりウィーンに向かっていたベートーヴェンと偶然の出会い。
ツェルターはベートーヴェンの一部始終をゲーテに報告をしたとのこと。

また、それ以降ベートーヴェンに音楽家として便宜を図ってくれたツェルター
ベートーヴェンは過分な感謝を表したことについて青木氏は
   「ツェルターがゲーテの友人だったからかも知れない」
と推測をされています。
このエピソードに心情の厚いベートーヴェンの素顔を見る思いがしました。

三つ目のエピソードには微笑ましさを感じてしまいました。
当時パガニーニのライヴァルとして人気があったヴァイオリニストのブーシュとのエピソードです。

1822年にブーシュがベートーヴェンに会いたいと
20通もの紹介状を用意してウィーンに来たそうです。
ベートーヴェンが不在とのことでメイドに紹介状の一通を渡して帰る。
ブーシュはベートーヴェンに会うことが叶わない。
その繰り返しの日々
ベートーヴェンの手元には
公爵や王子など錚々たる署名の紹介状が溜まったそうです。
が、ベートーヴェンは意にも介さなかったようで。
  
   「ところがある日、16通目の署名を目にした途端に
    彼は帽子をつかんで気が狂ったように部屋を飛び出した。
    そこに、ゲーテの名前があったからだ。」

そしてベートーヴェンは夢中でブーシュを探しまわったそうです。
ブーシュに会えたベートーヴェンは彼の首に抱きついて言ったとのこと。
  
   「ゲーテがあなたについて書いてよこしたのです。
    あの人はあなたを愛し、あなたを認めています。
    ですから、私にはあなたの力量を試すために、
    弾いていただく必要はありません。」

ベートーヴェンのゲーテに対する全面的信頼に心を動かされました。
ブーシュを探しまわるベートーヴェンの姿に思いを馳せ
まるで少年のような心を微笑ましく感じました。
あまりにも微笑ましくて悲しいくらいに。

因みに、ベートーヴェンはブーシュに自作の作品を弾いて聴かせたそうです。
ブーシュが別れ際に記念の楽句を書いて欲しいと願い差し出した五線紙に
ベートーヴェンは即興の楽想を書き留めたそうです。
その曲は、ヴァイオリン小曲として現在も残っているとのことなのですが、
それ以上の言及がありませんでした。
このヴァイオリン小曲は一体?・・・聴いてみたいものです。

また、ブーシュに対するベートーヴェンの歓迎ぶりは異例中の異例とのことで
ウィーンの音楽界で評判になったそうです。
ブーシュからその様子を聞いた友人のメンデルスゾーン。
1年前にはゲーテの家でベートーヴェンの手稿譜を演奏したメンデルスゾーンが
様子をゲーテに手紙で知らせたとのこと。

ゲーテとベートーヴェン
二人の巨匠は実際に会う機会以外にも
各々、周囲の友人たちを介して互いの動向を知り得ることができ
友人たちが巨匠たちの友情の重要な架け橋でもあったのでしょう。

ゲーテ そして ベートーヴェン
その素顔を垣間見ることができる好ましい書籍でした。



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2010.12/11(Sat)

「知ってるようで知らないベートーヴェンおもしろ雑学事典」 by       ベートーヴェン雑学委員会著

クラシック音楽通には書籍のタイトル「おもしろ雑学事典」に
反して面白くはないかも知れませんが。
知らないことが多い私にとりましては
タイトルの如く「知ってるようで知らない」話の数々。
興味深く読むことができました。
本のジャケット・デザインそしてタイトルから
面白く楽しい内容を想像していたのですが
内容は深くとても有意義なものでした。


          「知ってるようで知らない ベートーヴェン雑学事典」
                       by
                ベートーヴェン雑学委員会著

         ベートーヴェンおもしろ雑学事典
            (ヤマハミュージック・メディア 2009年11月10日発行)



ヤマハミュージック・メディア発行の
「知ってるようで知らない・・・おもしろ雑学事典」シリーズは結構楽しく読んでいます。
楽しく読みつつ・・・すぐに忘れてしまっておりますが。

「おもしろ雑学事典」シリーズは多々出版をされているようです。
いずれも興味をそそられてしまいます。
●「知ってるようで知らない クラシックおもしろ雑学事典」
●「知ってるようで知らない 指揮者おもしろ雑学事典」
●「知ってるようで知らない モーツァルトおもしろ雑学事典」
                         etc.etc.


「知ってるようで知らないベートーヴェンおもしろ雑学事典」
本のタスキには
  
   生涯と芸術を54のエピソードで綴ったおもしろ入門書 

と記されています。
ベートーヴェン雑学委員会と称する6人の著者による共著です。

第1章 ベートーヴェンをめぐる17のエピソード
第2章 ひたすら「芸術」のために
第3章 今でも新鮮で感動的なベートーヴェンの音楽
第4章 不滅のベートーヴェンが残したもの
以上の構成になっています。

オマケ?として
「これを聴けばべーとーヴェンがわかる名曲名盤30」も取り上げられていました。
が、名曲名盤にはあまり興味がないので読んではおりませんが。


第1章の中でのベートーヴェンのエピソード
「ベートーヴェンはどこに住んでいた?~ウィーンでの引っ越しは40回以上!?」。
ベートーヴェンは引越し魔だったようですね。
1792年以降、ウィーンに住み、死ぬまでの35年間に40回以上も引越しをしたとのこと。
ウィーンの地図にベートーヴェンが住んだ場所が記され
転居順に16番目まで印が付けられています。
ベートーヴェンが多くの引っ越しをした理由につき
ベートーヴェン雑学委員会の筆者の一人、稲崎氏は
次のように推測をしています。

  「ベートーヴェンは、自分自身が環境に左右されやすい性質で
   住み場所が創作にも影響を及ぼすということを
   心得ていたのではないでしょうか。
   ベートーヴェンが気に入っていた『バスクアラーティ館』で、
   交響曲第5番をはじめとする傑作が立て続けに生まれたこと、
   そしてその住まいをなかなか手放さなかったことなどからも
   そう推察することができます。
   新しい家や新しい景色は直接的にではないにせよ
   ベートーヴェンのもとへ、イマジネーションを運んできたに違いありません」

同じく第1章に、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」についての記述があります。
こちらの稿の著者は松村氏。
遺書は遺書でも生きる決意を述べている「遺書」であると。

ベートーヴェンの難聴が進行し
主治医であったシュミット博士からの勧めもあり
1802年4月からの約半年、
郊外の自然が豊かなハイリゲンシュタットに滞在したベートーヴェン。
ここで書かれたハイリゲンシュタットの遺書
この文書中のベートーヴェンの次の言葉。

   「わたしを押し留めたのは私の芸術だけだった。
    私が自分の中にあると感じているもの全てを出し切るまで
    私はこの世を去ることはできないと思えた」

   「死よ、望むときに来るがよい、
    私はお前に勇敢に立ち向かうだろう」

このベートーヴェンの文章から
松村氏は「遺書」と呼ばれるこの文書を、
  「これまでの自分に別れを告げ(その意味では「自殺」であり、「遺書」ですが)
   難聴という運命を受け入れ、それに立ち向かって
   生きる決意を示したものと言えます」
と記されています。
この遺書を書いた後1803年に、
ピアノ協奏曲第3番、ヴァイオリン・ソナタ第9番や
交響曲第3番を作曲するなど、ベートーヴェンの活発な創作活動が
生きる決意の「遺書」であったことの裏付けになっているとも。


第2章では「ほんとうに勉強好きだったベートーヴェン」との見出しでは
ベートーヴェンが音楽の指導を受けた数人の師について記されています。
作曲の高度な技法を習得した頃にはベートーヴェンは24歳になっていたそうです。
次にベートーヴェンが目指したのはイタリア・オペラの作曲技術だったとのこと。
当時、作曲家にとっての最大の栄誉はオペラでの成功。
ベートーヴェンは生涯にわたりオペラ化の構想をした作品は50を超える
とする説もあるとのことです。
「フィデリオ」以外ではどのような構想をしていたのか興味を惹きます。
その辺の言及も望みたいところです。


第3章の中の見出しでは、
  「《第九》といえば、ベートーヴェンンだが・・・。
  “いつの時代にも名曲”という訳ではなかった不滅の交響曲」

第九》の1825年3月21日のロンドン初演時には
次のような批評記事があったそうです。

   1時間を超える演奏時間の長さ
   『歓喜に寄す』フィナーレと他の楽章との関連が不明

との批判にて合唱の削除まで提唱されたとか。
19世紀には第4楽章を削除して演奏したり
一部の楽章のみ演奏することも珍しくなかったそうです。


第4章では「“輸入”から110年」:日本人のベートーヴェン好き~そのルーツを探る
2001年、音楽の友誌の読者アンケート
日本人の一番好きな作曲家は・・・その結果では
トップはベートーヴェンだったそうです。
20年間、第1位を占めているのがベートーヴェンと。

ベートーヴェンの作品を日本人はいつから聴くことができるようになったのか?
ということで、1897年(明治30年)頃からだそうです。
初めて本格的に演奏をされた作品は
1896年(明治29年)4月、東京音楽学校演奏会、
ピアノ遠山甲子によるピアノソナタ《月光》だったとのこと。

オーケストラ曲での演奏史の始まりについては
ドイツの音楽家アウグスト・ユンケル(1870-1944)が
東京音楽学校に1899年(明治32年)に赴任。
ベートーヴェンの交響曲の演奏史の幕開けは第3番《英雄》
1909年(明治42年)11月にユンケルの指揮で。
第1楽章のみだったそうですが。

第九》の日本初演を行ったグスタフ・クローン(1874-?)。
ユンケルが1913年(大正2年)に日本を離れ
後任として東京音楽学校に赴任をしてきたドイツの音楽家で
1924年(大正13年)、日本を離れるまで
日本のベートーヴェン演奏に大きく貢献したそうです。

   etc.etc.

いろいろな視点からの
「知ってるようで知らない」ベートーヴェンの話が盛り沢山の一冊でした。



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2010.10/27(Wed)

佐渡裕著:「僕はいかにして指揮者になったのか 」

「木枯らし1号」とニュースで耳にする時期になりました。
つい先週までは室内では半袖だったのですが、
急に気温が下がり、明日の気温は12月並みとの予報です。

今日10月27日(水)から11月9日(火)まで読書週間だそうで、
読書週間に因み?まして、今日は最近読みました本を。
佐渡裕著の「僕はいかにして指揮者になったのか」です。

佐渡裕氏を知りましたのは、ブログ仲間の御方の記事を拝読したのがキッカケでした。
昨年9月「佐渡裕とPACオーケストラ演奏会」との記事にて、
コンサートのご感想を拝読しました。
それ以前は、まったく私にとっては無知に等しい指揮者でした。
お名前も、「ユタカ」と読まず「ヒロシ」とお読みしていたほどの無知さ加減でした。
ましてや、バーンスタインの弟子ということすら・・・知らなかった有様です。
以来、佐渡裕氏は関心のある指揮者に。
演奏、CDよりも先に書籍を求めてみました。



              佐渡裕著「僕はいかにして指揮者になったのか」
                   (新潮社:2001年6月発行版)


佐渡氏の著書「僕はいかにして指揮者になったのか」を読み始めました頃、
ちょうど、NHK教育にて10月、4回シリーズでバーンスタイン没後20年記念、
 「こだわり人物伝」~愛弟子が語るバーンスタイン 
の放映にて佐渡氏のお話を興味深く聞きつつ、
TVと並行して本を読んでおりました。
このシリーズも本日、10月27日が最終回。

書籍から伝わってきましたのは、
とにかく、心底、限りなく、指揮することがお好きということ。
指揮することに対する限りない喜びと情熱。
そして何よりも音楽を愛する心。
とっても気さくなお人柄も魅力でしょうか。
人々との出会いにも恵まれ、幸運の女神はいつでも氏の友達であるかのようです。

氏がこちらの本を執筆された動機として、
次のようにお書きになっていられます。

  「クラシックが自分の小さな枠を取り払い、
   感性を縦横無尽に広げてくれること、
   そして、人生に幅と奥行きを作ってくれる力を持っていることを、
   クラシックが小難しくて苦手だと思っている人に
   知ってもらいたかったからである。」

因みに私自身、クラシックの中でも、特に現代音楽は、
小難しくて苦手と思っている一人です。
古典派を聴いていると一番安心していられるのですから、
救いようがないとの自覚も・・・。

氏は続けて次のようにも。

  「一番大切なのは、どれだけその人が音楽を愛しているかということであり、
   音楽をどう感じるかである。
   また僕にとっては、音楽を創る喜びを、指揮者という立場で
   どう表現できるかということだと思っている。」

その思い故に、バーンスタイン、小澤征爾と出会えたと思う、
とも記されていらっしゃいます。

手にしました書籍は2001年の出版。
1995年、30歳代の頃の執筆。
すでに15年が過ぎ去り・・・。
最近のニュースでは来年、2011年5月にベルリン・フィルの定期公演にて、
指揮をなさるということも昨今話題になっていましたようで。
先月には同じ新潮社よりこちらの書籍の再発売もされたようです。
売れっ子指揮者というところでしょうか。

書籍の佐渡氏のプロローグ、「演奏会ほど面白いものはない!」から、
『いっぺん演奏会に来いひんか?』の中で、
   
   「どんなに年数を重ねようが、近所のおばさんたちを
    気軽にクラシックの演奏会に誘えるような指揮者でいたいと思っている。」

このご自身の思いをお書きになられてから15年程経った現在、
志しを貫いていらっしゃるようですね。

一貫して、飾りっ気のない語りかけるような文章に先ず好感を抱きました。
読んでいまして、つい笑みが浮かんでしまいます。
お話がとても面白いのです。
ですが、ただ単に面白可笑しいだけではなく、随所にご自身のお考えが。
読んでいまして文章に引き込まれてしまいます。

クラシックの演奏会はこうでなければならないとか、
型にはまったことが大嫌い・・・と、佐渡氏。

氏の人生、考え方も型にはまらず、型破り のようにも感じられます。
型破りと言いましても、良い意味で。
指揮に対する情熱が型破りの原動力でしょうか。

小学生のころからコンサート鑑賞をされた話から、
辿ってきた道、出来事・・・自伝のようでもあります。
指揮者になるまでの道のり途上で、
出会いのあった邦人指揮者の方々とのお話も興味深いものがありました。
指揮者に留まらず、氏が出会い、影なりになって支えられた人々のことも生き生きと書かれています。
人の心を魅了してしまう、佐渡氏のお人柄。

中心の話題はやはりバーンスタイン
この書籍の終わりもバーンスタインの死と、
バーンスタインの死以来、指揮台に立つときのご自身の気持ちが書かれています。
「今夜が僕の引退公演!」とのタイトルで、次のように。
 
  「それ以来、どんな時でも、これが最後だ、
   一回きりの演奏会だと思って指揮台に立っている。
   たとえその日、何かがあって、
   指揮者生命が絶たれるようなことになったとしても、
   決して後悔しないために。
   というより、その日、そこに集まった聴衆とオーケストラと 、
   そして僕自身が音楽を楽しむことが、他の何よりも大切なことだと思うから。」

こちらの本を読んでいるだけで気分も楽しくなります。
音楽は楽しい
人生は楽しい
人生賛歌をしたくなる本でした。

ところで、書籍を読み終え佐渡氏の演奏を聴きたくなりましてCDを探してみましたが。
苦手な作曲家の作品が多く・・・尻込みをするばかりです。
こちらの本に出合えましただけでも幸いかと思います。



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2010.08/26(Thu)

「音楽遍歴」小泉純一郎著

太陽が燦々と輝く日中でも、木陰を歩いていますと先頃とは違い空気に秋を感じるようになりました。
木陰を出ますと、処暑を過ぎたことなど嘘のような炎天下ではありますが。
四季のうちでは夏が一番好きですので、微妙な気分になりつつあります。
秋が過ぎれば、夏の次に好きな季節、冬が待っています。

何気なく、クラシック関連のいろいろな本のタイトルと著者を見ておりましたら、
音楽遍歴」のタイトルが目に入りました。
著者は小泉純一郎氏。
首相時代にテレビのニュースにて、オペラエルヴィス・プレスリーがお好きだとは知っていましたものの、本が出版されているのは知りませんでした。
失礼ながらも単なる好奇心で入手してみました。
やっと、読み終えました…半年以上かかりました。
外出中の空き時間や待ち時間を埋めるために、いつもバックの中に入っていました。
このような読み方では、著者には失礼甚だしいのですが。



         「音楽遍歴」小泉純一郎著

                   小泉純一郎著:「音楽遍歴
                (日経プレミアムシリーズ、2008年発行)


こちらの本を手にしまして一番喜ばしく思いましたのは、活字が大きいこと。
活字の大きさを喜ぶのも…の所為ですね。
共感しましたのは、裏表紙に書かれています、次の2行の文章。

   私の人生には、いつも美しい旋律があった。
   音楽は心の奥深いところに感動を与えてくれる

人生には、いつも美しい旋律!
そうなのですよね~。
これがなければ・・・人生は無味乾燥になってしまいます。
これがなければ・・・そもそも、人生など考えられないような。

この本が誕生した経緯は、日本経済新聞、2007年7月7日付けの記事だったそうです。
編集委員の持ち回りコラムで「芸文余話」というのがあるそうなのですが、
そのコラムの「巨匠クルカと小泉前首相」という記事に反響があったそうです。
氏の快諾の元にこの本の誕生となったようです。

「巨匠クルカ」?まったく知りませんでした。
コンスタンティ・アンジェイ・クルカ。
ポーランドのヴァイオリンの巨匠とか。
駐日ポーランド大使館に於いて、クルカと平澤真紀(ワルシャワ在住のピアニスト。ということも初耳でした)の二重奏のリサイタルが開かれたそうです。
その席に、当時首相の小泉氏が出席されたとのこと。
氏はカルロ・リピンスキーの作品に惹かれているそうで、
クルカの演奏が最高と褒められたとのこと。
持参をしていたCDに演奏後、そのクルカのサインをいただき大喜びだったそうです。
     純ちゃん、可愛いですね~

この本を読みまして、小泉氏と音楽の密接な結び付きを初めて知りました。
これほどまでにクラシック音楽、音楽全般を愛好されていたとは・・・。

音楽遍歴」は、「クラシックとの出会い」~ヴァイオリンを始めた12歳。
その当時から語り始められてれています。

クラシックとの出会いは、自らヴァイオリンを弾きたいとの意思ではなく、
小学校時代の恩師が中学校に進学した氏の音楽の教師だったとか。
ヴァイオリンを手にしたこともなかった氏が、その教師の誘いで、
ヴァイオリンを「やってみようかな、って気にさせられてしまった」のが、
そもそもの始まりだったそうです。
ハイドンの「おもちゃの交響曲」を初めて手掛け、
次にモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。
続いて、J.S.バッハ「G線上のアリア」と。
ヴァイオリン作品が気に入られ、クラシック音楽人生のスタートでしょうか。

ラジオから流れてきたヴァイオリン作品。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。
耳を奪われ…初めてレコードを購入。
後は、大方のクラシック愛好家が辿る道を・・・。
交響曲に目覚め、ピアノ曲にも・・・そしてオペラ

読み進みますうちに、一国の首相ともなれば音楽との「付き合い」に於いてのエピソードもまた格別。
オペラ好きの小泉氏が称えるソプラノ歌手はエディタ・グルベローヴァ
首相時代にベッリーニ「清教徒」の観劇に行き、
その幕間に舞台裏でグルベローヴァと対面されたそうです。
「日本の首相はオペラ好きだから何か歌え」ということで、
彼女から一緒に歌おうと誘われたとのこと。
共演者のジョゼッぺ・サッバッティーニらとともに、「カロ・ミオ・ベン」を合唱したとのエピソードは面白く拝読をしました。

また、バイロイト音楽祭でのエピソード。
面白いと言いますか、思わず苦笑をしてしまいました。
こちらも首相時代に、当時ドイツの首相シュレーダーの招待で、
共に「タンホイザー」を観劇した時の話。
この二人の首相が劇場に到着すると観衆からは歓迎の拍手。
劇場内に入るとまた拍手での歓迎。
「二階正面のバルコニーみたいなところ」で、小泉氏は手を振ったそうです。
一方、シュレーダー首相は後ろの方で座ったまま。出てこない。
ここでのお二人の会話。
 小泉氏:「一緒に出ましょうよ、あんなに大勢の人がいるじゃないですか」
 シュレーダー首相:「私は出ません」
 小泉氏:「なぜ?」
 シュレーダー首相:「ヒトラーも同じ場所に立っていた」

首相であればこそ語ることのできる、このエピソード。
シュレーダー首相の心情に同情をしつつ、笑い出したくなりました。
ドイツの首相は余計?なことに神経を使わざるを得ないようで。
ナチズム、ヒトラー、ワーグナーは頭痛の種?として健在なようで。
それに比べ、日本は何と平和(かなり曲者的な)なこと!

音楽的な話よりも、エピソードの方が興味を惹きました。
ただ、オペラやプレスリーに関する記述では、頷きつつ読む箇所が多々ありました。

特に記述はなかったのですが、
どのような再生装置で音楽鑑賞をされているのか興味のあるところでした。

この本はクラシック音楽、いえ、音楽全般を愛好し、その「楽しみ」を知っている、
一つの心との出会いになりました。

音楽愛好家は誰でも、きっと、
一冊の自分の本を心の中で日々、書き綴っていることでしょう。



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タグ : 音楽遍歴 小泉純一郎 バイロイト音楽祭 オペラ エルヴィス・プレスリー グルベローヴァ

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