2012.02/23(Thu)

Op.132 メンデルスゾーン:八重奏曲 by コダーイ四重奏団+アウアー四重奏団

前回の続きでブルッフの弦楽八重奏曲とのカプリング曲
メンデルスゾーン八重奏曲を。

          メンデルスゾーン八重奏曲 変ホ長調 Op.20
  
               メンデルスゾーン&ブルッフ:八重奏曲


                     コダーイ四重奏団
                     アウアー四重奏団
             
               (録音:2003年6月、2004年4月 
                   ブダペスト、フェニックス・スタジオ)



作曲は1825年秋、メンデルスゾーン16歳の時に短期間で書かれたそうです。
ルイージ・ケルビーニに太鼓判を押され自信が付いたメンデルスゾーン
この時に作曲したのが八重奏曲だったとのこと。
メンデルスゾーンの最初の名作。
1832年に、この作品に多々、手を加えられたそうです。
献呈は友人のベルリン・フィルハーモニー協会の創設者であったヴァイオリニストの
エドゥアルト・リーツに。

初演日時は不明だそうですが
メンデルスゾーン家の演奏会で初演されたと推定されるとのこと。

メンデルスゾーンはこの作品では
室内楽としての極限の効果をあげようとしたそうです。

演奏についてメンデルスゾーンは
 
  「交響曲風に演奏すべきであり
   力性も他の種類の室内楽曲の場合よりも協調すべきである」

と述べたそうです。

楽器編成はヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ2。
ブルッフの八重奏曲にはコントラバスが加わっていましたので
シンフォニックに感じるところもありました。
メンデルスゾーンの八重奏曲はブルッフの作品とはかなり対照的に感じます。


第1楽章 アレグロ・モデラート・マ・コン・フォーコ 変ホ長調 4/4拍子 ソナタ形式 
      元気溌剌。覇気を感じさせられます。

第2楽章 アンダンテ ハ短調 6/8拍子 変化したソナタ形式
      美しい旋律。
      この作品の中ではお気に入りの楽章です。

第3楽章 スケルツォ-アレグロ・レッジェーッリシモ ト短調 2/4拍子 ソナタ形式 
      嘗て耳にしたこともあり
      有名な楽章とのことで
      弦楽合奏で独立して演奏されることもある由。
      この楽章について姉であるファニー・メンデルスゾーンに
      ゲーテの「ファウスト」より『ヴァルブルギスの夜』の最後の語句から
      インスピレーションを受けたと語ったそうです。     

第4楽章 プレスト 変ホ長調 2/2拍子
      これぞ、プレスト! 活発で目まぐるしく凄まじさも感じます。


何とも色彩豊かで煌びやかな作品。
殊更に心を打たれるものはないのですが
それが幸いし気分転換にはなるようです。

コダーイ四重奏団アウアー四重奏団の共演による演奏は
はち切れんばかりのスピード感のある演奏のようです。
力任せになることはなく、第2楽章では情感が漂うようです。


この作品を聴き、作曲をされた1825年
16歳当時のメンデルスゾーンに興味を抱きました。
1825年前後について知りたく書籍を開いてみました。

備忘録的に略書きを以下に。(舩木元著:「メンデルスゾーンの世界」を参照)

1824年、フェリックス・メンデルスゾーンの両親は
音楽を一生の仕事にすることに慎重だったとのこと。
ピアニストのツェルターは両親に対しフェリックスの音楽の才能に
太鼓判を押したそうです。

1825年3月、フェリックスの父アブラハムは知己であり
優れた音楽家で当時の音楽界の長老でパリ音楽院の院長でもあった
ルイージ・ケルビーニの判断を仰ぐことにする。
父の意向に同意したフェリックスは父と共に
パリに滞在しているケルビーニに会うためにパリへと旅立つ。
ケルビーニはフェリックスが持参した「ピアノ協奏曲ロ短調 作品3」を見て驚嘆。
「この少年には才能があり、うまくなるだろう、すでに良くできている」と
フェリックスの才能を好意的に評価した。

フェリックスはケルビーニのオーディションに合格。
この結果にフェリックスは別に驚くことはなかったそうで。
フェリックスは見るもの聞くもの全てを批判する批判精神旺盛だったようで
「当然」な結果だったのでしょう。
ケルビーニの判断を聞いた父アブラハムは不安が消え
息子を専門の音楽家として進ませることを心に決めた。
ケルビーニの訪問を終えてパリを去る途中でゲーテを訪問して
ベルリンに戻ったとのこと。

1825年の夏。一家はベルリンの家に移る。
土地の広さ、1万2千坪と広大。
以前プロイセン王フリードリヒ2世の庭園の一部だった。
庭には300人程が入れるホールがあり、日曜コンサートが定期的に催された。
コンサートではフェリックスが曲目を選び、リハーサルやピアノ演奏、指揮もした。
この音楽会のために小さなオーケストラや合唱団が雇われた。
ベルリンを訪れた音楽家のほとんどがこの音楽会に出演し
フェリックスにとって良い勉強に。
音楽会のために作曲し、すぐにその曲を聴くことができたとういう恵まれた音楽環境。
同時にツェルターの助言を得て、急速に進歩していった。
この家はベルリン屈指の知的サロンへと発展した。

翌年、1826年には有名な「真夏の夜の夢」序曲の作曲。
1827年に最初の挫折感と失望感。
ベルリンの歌劇場で「カマチョの結婚」を初演。
結果は失敗。

メンデルスゾーンの偉業として有名な
バッハの「マタイ受難曲」をベルリン・ジングアカデミーでの復活上演
での成功で順風に。
     

音楽環境にも恵まれ、自信を抱いて作曲に向かったメンデルスゾーン。
まだ「挫折」という言葉を知らない順風満帆のスタートを象徴するかのような
若き血潮漲る作品でしょうか。

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タグ : メンデルスゾーン 八重奏曲 コダーイ四重奏団 アウアー四重奏団 ツェルター ケルビーニ

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