2015.01/24(Sat)

Op.272 チャイコフスキー:「交響曲第4番」 by ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル

前回、チャイコフスキー交響曲第5番を聴いたことが契機となり
後期3大交響曲に耳を傾けています。
前回、交響曲第5番の際に
第5番のお勧めの演奏としてムラヴィンスキー&レニングラード・フィル
コメントにて挙げてくださいました。
是非聴いてみたくディスクを求めました。
チャイコフスキー交響曲、後期の3曲が収録されている2枚組です。

早速、お目当ての第5番を聴いてみました。
コメントのお陰で出合うことができたムラヴィンスキーチャイコフスキー
お寄せいただきましたコメントに感謝の気持ちです。

こちらのディスクから今は第4番を聴いています。

            チャイコフスキー交響曲第4番 ヘ短調 作品36
                          by
              ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル


                272ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル

                   エウゲニー・ムラヴィンスキー指揮
                   レニングラード・フィルハーモニーO.

                  (録音:1960年11月 ロンドン
                      ウェンブリー・タウンホール)

     第1楽章 序奏 アンダンテ・ソステヌート ヘ短調 4分の3拍子
     第2楽章 アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーネ
                             変ロ短調 4分の2拍子
     第3楽章 スケルツォ ピッツィカート・オスティナート アレグロ 
                               ヘ長調4分の2拍子
     第4楽章 フィナーレ アレグロ・コン・フォーコ ヘ長調 4分の4拍子


作曲は1877年春から1878年1月にかけて書かれたそうです。
当時チャイコフスキーはモスクワ音楽院の教え子であった
アントニーナ・ミリューコヴァとの離婚で疲れ切り
弟のアナトーリに付き添われロシアを離れ静養旅行に出かけたとのこと。
イタリアにも足をのばしサン・レモで全曲が完成したそうです。

              272Nadeschda von Meck
               Nadeschda Filaretowna von Meck
               (1831年1月29日 - 1894年1月1日)

作曲の前年1876年にナジェジダ・フィラレートヴナ・フォン・メック夫人
経済的に苦しんでいた作曲家がいると知り
チャイコフスキーに年金の提供を申し入れたそうです。
フォン・メック夫人の援助の手を受け間もなく作曲されたのが
この第4番だったとのことです。
チャイコフスキーはこの曲の各楽章の性格について
フォン・メック夫人宛ての手紙で説明をしているとのことです。
(文末に引用させていただきます)
第4番には「「わが最愛の友へ」と記しているそうで
この「最愛の友」こそフォン・メック夫人とのことです。

チャイコフスキーは弟子のタニュエフにこの曲について
次のように書き送っているそうです。
  「『第4交響曲』の一つの小節といえども、
   私が真に感じたものを表していないのはなく、
   また私の心の秘奥を反映していないものはない」


             272ルヴィンシュタイン兄弟
                 (左:弟ニコライ 右:兄アントン)
              Nikolai Grigorjewitsch Rubinstein
              (1835年6月14日-1881年3月23日)

初演は1878年2月12日、モスクワのロシア音楽協会演奏会で
チャイコフスキーとは縁の深いニコライ・ルヴィンシュタインの指揮にて
行われたそうです。
初演時、チャイコフスキーはフィレンツェに滞在中だったとのことで
電報にて初演の成功が伝えられたそうです。

初めて聴くに等しいチャイコフスキーの第4番。
第1楽章はホルンとバスーンが力強く奏するファンファーレ風の序奏での開始。
このファンファーレの旋律は全曲の主想になっているとのこと。
弦が奏でる第1主題はドラマティックに。
クラリネット独奏の第2主題には優美な趣も漂っているようです。
弦は優雅な旋律を、木管はあたかも楽しい語らいをしているような。
曲が進みティンパ二の力強さ、トランペットも勇壮な趣です。
コーダでの覇気のある激しさからは
運命に弄ばれることを拒否する強靭な意志を感じるようです。
現実の暗澹とした非情感は「夢」の陰に隠れ
宿命に立ち向かう勇壮な強さを感じる楽章です。
自身の勝利を信じて運命に立ち向かう勇ましい人間の姿を
垣間見る思いがしてなりません。

寂寥感が漂う美しい旋律をオーボエが奏して始まる第2楽章。
何やら独りで淡々と語っているようなオーボエ。
このオーボエが奏する主旋律に加わる弦も淡々とした調べを。
果てしないように続く寂寥の調べ。
そして現れる副旋律では力度が増し一瞬の高揚感が。
すぐに繰り返される主旋律の寂しい旋律。
中間部に入り寂寥の旋律は消え
大らで力強い旋律に。
再び主旋律の寂しげな調べの中から耳に入る木管の音色は
一抹の光明のように明るく感じられるようです。
が、弦と木管が現れ打ちのめされるような語らいを始める調べには
印象深いものがあります。
語らいはゆっくりとなり、いつしか消えるかのように迎える楽章の終り。

第3楽章は弦楽器の速いピッツィカートでの始まり。
いつまでも続くかのような弦のピッツィカート。
トリオに入り突如としてピッツィカートが止まり現れる木管。
陽気な舞曲を感じさせるようです。
次いで金管は快活な歩みを感じさせるようです。
再び弦のピッツィカートが生き生きと動的に。
木管、金管、弦が繰り広げる終結部では
舞曲を感じさせる楽しさを感じます。

トゥッティの強奏で始まる第4楽章。
シンバルの強打には驚いてしまいましたが
身が引き締まる思いがします。
闊達で力漲る旋律の第1主題。
第2主題に転じ抒情性を感じる調べに。
この旋律はロシア民謡「野に立つ樺の木」が基になっているそうです。
第3主題での激しさ、入り乱れるかのようなオーケストラ。
息つく間もないような楽章でしょうか。
繰り返される各主題。
楽器たちは強烈な乱舞を繰り広げているようです。
再び現れる第1楽章の主想旋律を奏するトランペットは
人生の勝利を告げるかのように高らかに響き渡っているようにも感じられます。
激しい盛り上がりのうちに迎える曲の終り。

後期の3つの交響曲のうち第4番はすぐには
親しめるものがなかったのですが・・・。
じっくりと耳を傾け聴き終えてから出るのは溜息だけです。
この作品にもまた惹かれます。

ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの演奏で聴いて
気迫と緊張感、そして壮絶とも言えるな演奏には絶句です。
魔法にでも掛かったかのようにグイグイと引き込まれてしまいます。


最後にこの作品、第4番について
チャイコフスキーがメック夫人宛て1878年3月1日付けの手紙に書かれた説明文を
長くなりますが自分の備忘録として引用させていただきます。

第1楽章
「私たちの交響曲は標題性を持っています。というのは、この内容は言葉で言い表すことができるのです。
それで私は、あなたに--そうしてあなたにだけ--この全曲と各楽章の意味を言おうと思います。
勿論だいたいについて言えるというだけなのですけれど。
序奏はこの交響曲全体の中核、精髄、主想です。これは『運命』です。すなわち幸福への追求が目的を貫くことを妨げ、平和と慰安が全うされないことや、そらにはいつも雲があることを嫉妬深く主張している宿命的な力です。
頭上にいつも垂れ下がっている『ダモクレスの剣』のように揺れ、魂にたえず毒を注ぎ込む力です。
この力は圧倒的で不敗のものです。ですからこれに服従して、密かに不運をかこつより仕方がありません。
(第1主題の譜)絶望は激しくなります。逃避して夢に浸るのがよいでしょう。
(第2主題の譜)何という嬉しさでしょう。甘い柔らかい夢が私を抱きます。明るい世界が私を呼びます。
魂は夢の中に浸って憂愁と不快は忘れられます。これが幸福です。
しかし夢でしかありません。運命はわれわれを残酷に呼びさまします。
(主想旋律)われわれの生活は悩ましい現実と、幸福な夢との交錯に過ぎないのです。
完全な避難所はありません。人生の波はわれわれを揉んだ後にわれわれを呑み込んでしまうのです。」

第2楽章
「第2楽章は悲哀の他の一面を示します。ここに表わされるのは、仕事に疲れ果てた者が、夜半ただ一人家の中に座ってるとき彼を包む憂鬱な感情です。読もうと思って持ち出した本は彼の手から滑り落ちて、多くの思い出が湧いてきます。
こんなにも多くのいろいろなことが、みんな過ぎ去ってしまった、去ってしまったというのは、なんという悲しさでしょう。
それでも昔を想うのは楽しいことです。私たちは過去を嘆き懐かしみますけれど、新しい生き方を始めるだけの勇気も意志もありません。私たちは生活に疲れ果てたのです。」

第3楽章
「第3楽章には、これといってはっきりした情緒も確定的な表出もありません。ここにあるのは気まぐれな唐草模様です。われわれが酒を飲んでいささか酩酊したときにわれわれの脳裡に滑り込んでくるぼんやりとした姿です。
その気分は陽気になったり悲嘆に満ちたりクルクルと変わります。別に取り留めてなんのことも考えているのではなく、空想を勝手気ままに走らせると、素晴らしい線の交錯による画面が楽しまれます。たちまちこの空想の中に、酔っ払いの百姓と泥臭い唄との画面が飛び込んできます。通くから軍楽隊の奏楽して通る響きが聞こえます。これらはみんな、眠る人の頭の中を行き交うばらばらな絵なのです。現実とは、なんの関係もありません。それらは訳のわからぬ混乱したデタラメです。」

第4楽章
「第4楽章。あなたが自分自身の中に歓喜を見出せなかったら、あたりを見回すがよい。人々がどんなに生を楽しみ、歓楽に身を打ち込むかを見るがよい。民衆の祭りの日の描写。人々の幸福の姿を見て、われわれが己を忘れないかのとき、不敗の運命は再びわれわれの前に現れてその存在を思い起こさせる。人の子らはわれわれに関心を持たない。彼らはわれわれを顧みもせず、またわれわれが寂しく悲しいのを見んがために足を留めようともしない。なんと彼らは愉快そうで嬉しそうであることか。彼らの感情は無邪気で単純なのだ。それでもあなたは『世は悲哀に沈んでいる』というだろうか。
幸福は、単純素朴な幸福は、なお、存在する。人々の幸福を喜びなさい。そうすばあなたは尚、生きてゆかれる。」

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タグ : チャイコフスキー 交響曲 ムラヴィンスキー レニングラード・フィル フォン・メック夫人 ニコライ・ルヴィンシュタイン

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