♪クラシック音楽 さんぽみち♪〜第1楽章:CD&MUSIC BIRD

クラシック・ビギナーのCD及びCS-PCM放送のミュージック・バードを主とした音楽便りです。 敬愛する作曲家はベートーヴェン。 古典派〜ロマン派を中心に聴いています。 時には日常の雑感も。また、時には家族のコザクラインコの話も。ゆっくり、のんびりと。

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Op.135 シューベルト:「ミニョンの歌」D.877-4~『ただ憧れを知る人だけが』 by バーバラ・ボ二―

前回に引き続き
ゲーテ「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」から
ミニョンの歌」D.877-4の『ただ憧れを知る人だけが』を。


D.877-1~3の感想を簡単に。

D.877-1『ただ憧れを知る人だけが
詩はゲーテの「ただ憧れを知る人だけが」に同じ。
ソプラノとテノールの二重唱。
聴いたのはソプラノがクリスティアン・シェーファー
初めて耳にする名前のテノールでジョン・マーク・エインズリーとの二重唱です。
ミニョン」に関するシューベルト歌曲の中では
最も明るい旋律のように感じられました。

以下の3曲をバーバラ・ボ二―とクリスティアン・シェーファーで聴きました。

D.877-2「ミニョンの歌」~『語らずともよい、黙っているがよい』
(ゲーテ、1782年11月以前の作。第5巻第16章所収)
ウィルヘルムへのミニョンの秘めた想いが歌われているそうです。
物想う愁いを帯びた旋律の中に時々現れる明るさ。
バーバラ・ボ二―で聴くと心の明暗が繊細に伝わるようです。
シェーファーの詠う「ミニョンの歌」については
沈黙をした方が良さそうですので。

D.877-3「ミニョンの歌」~『もうしばらくこのままの姿に』
ゲーテ、1796年6月前の作。第8巻第12章所収)
病気になったミニョンが死の近いことを予感して歌う。
死によって現世の苦しみから解放されること願うミニョン。
死を予感しつつも明朗とも感じられる趣に心打たれるものがあります。
やはりボ二―の歌唱はミニョンの心境を鮮やかに表現しているようです。
この曲も心に残る一曲です。

今日の主人公は
D.877-4の「ミニョンの歌」~『ただ憧れを知る人だけが』です。
今日、よく歌われるのがこの歌とのこと。
諦めを秘めた憧れが歌われているようです。
第2節の「断腸の思いに」ではミニョンの激情を吐露する個所以外は
淡々とした旋律ながら「ミニョンの歌」の中では
最も心に残るものがありました。
同詩へのチャイコフスキーの付曲も機会がありましたら聴いてみたいものです。


作曲は1826年1月。
シューベルト29歳。
ゲーテのこの詩にシューベルトは6回の作曲を試みているそうです。
10年前の1816年作曲の「リート」D.403の旋律が用いられているそうです。
3部形式、「ゆっくりと」の指定とのこと。

ゲーテが、この詩を謳ったのは1785年6月だそうです。
「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」の第4巻第11章に所収。
同月の20日にシュタイン夫人に送られたとのこと。

脱線しますが。
ゲーテが詩に詠う、憧れ についてドイツ文学者の小塩節氏は
 「ドイツ的な感情、ドイツ的な言葉はないだろう」と記述されています。

イタリアに寄せる 憧れ についての小塩氏の記述を引用させていただきます。

「ドイツ人にはない、明るくて青く澄み切った大空の下の
 甘くて情熱的でありのままに人間らしく生きられるイタリア、
 そこへの本能的な、父祖代々からの激烈な程の憧れがある。
 それがゲーテの場合に典型的に現れ、彼はイタリアの明るい自然と、
 本物の古典古代と、そしてイタリアに住む明朗な人々の触れ合いから、
 堂々たる古典主義文学者となって、暗い北のワイマルに帰って行った。
 同じブレンナー峠を三度、馬車で往復した少年モーツァルトは、
 イタリアで創造の基本的なフォルムを自分のものとし、
 オペラ作曲家としての養分を存分に吸い取った。
 イタリア体験なしにモーツァルトはあり得なかった。
 ゲーテやモーツァルトだけではない。
 (中略)
 グルックもメンデルスゾーンもスタンダールもイタリアに惹かれて行った。
 ワーグナーはヴェネツィアで生涯を終えた。
 そのヴェネツィアに激越な詩人哲学者ニーチェも、
 20世紀最大の作家トーマス・マンも深く深く惹かれていった。
 南の国イタリアの光のもとへと憧憬を燃やし、
 その光の下で自分のフォルムを手に入れるのである」

以前に聴いたシューベルトの『竪琴弾きの歌』
今回、「ミニョンの歌」を聴き感じたのは
「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」を読み
且つ、聴く方が歌への理解が深まると痛感するようになりました。
が・・・何時になったら小説を読めるのでしょうか。


   (風と樹と空と)ライン:虹と花li_rainbow1

    ただ憧れを知る人だけが: Nur wer die Sehnsucht kennt D877-4
        (詩:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)


     ただ憧れを知る人だけが
     私の悩みも分かってくれるのです!
     あらゆる喜び、楽しみから
     ただ独り隔てられて
     わたしは遥か彼方の
     碧空を仰ぎ見るのです。

     ああ!わたしを愛し、理解してくれる人は
     どこか遠い所にしかいないのです。
     そう思うと わたしは気が遠くなり
     断腸の思いに駆られるのです。
     ただ憧れを知る人だけが
     わたしの悩みも分かってくれるのです!

                  (訳:喜多尾道冬氏 引用)



    (原詩引用)

     Nur wer die Sehnsucht kennt
     Weiß, was ich leide!
     Allein und abgetrennt
     Von aller Freude,
     Seh ich am Firmament
     Nach jener Seite.

     Ach! der mich liebt und kennt,
     Ist in der Weite.
     Es schwindelt mir, es brennt
     Mein Eingeweide.
     Nur wer die Sehnsucht kennt
     Weiß, was ich leide!


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Comment

Re: D.321は好きなんですけど・・・

burleskeさま、こんばんは。
コメントをいつもありがとうございます。

シューベルトの作曲したミニョンに関する歌曲D.321、D877-1~4を
今回じっくり聴いてみて感じたことは
歌手によって受ける印象が、かなり違ってしまうということでしょうか。
所有しているシュヴァルツコップのLPで嘗て「シュヴァルツコップの芸術」として
シリーズで発売されていたものより収録曲を探してみました。
チャイコフスキーの『ただ憧れを知る人だけが』が見つかりました。
が、シューベルトの方は収録されていなくて残念でした。

繊細いなニュアンス・・・ということで、D.877に関しては
ボ二―は素晴らしい歌唱を聴かせてくれるように感じました。
burleskeさま同様にシュヴァルツコップで聴きたい思いは拭えませんが。
  • posted by lumino
  • URL
  • 2012.03/19 19:39分
  • [Edit]

D.321は好きなんですけど・・・

luminoさま、こんばんは。
『ミニョンの歌』はD.321の『ごぞんじですか、レモンの花咲く国』は好きなんですけど、D.877の方は聴いた記憶がありません。
luminoさまの記事を拝読してD.877の4曲をクリスタ・ルートヴィヒ&アーウィン・ゲイジで聴いてみました。
美しくしみじみと心を打たれる歌ですね。
でもシュヴァルツコップを聴いた後なので、響きは豊かで美しいものの、もう少し繊細なニュアンスが欲しいように思えました。
ちょっと重いようにも感じられてしまいます。
シュヴァルツコップでD.321とD.877の録音があったら聴いてみたいもんですね。
  • posted by burleske
  • URL
  • 2012.03/18 22:25分
  • [Edit]

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