♪クラシック音楽 さんぽみち♪〜第1楽章:CD&MUSIC BIRD

クラシック・ビギナーのCD及びCS-PCM放送のミュージック・バードを主とした音楽便りです。 敬愛する作曲家はベートーヴェン。 古典派〜ロマン派を中心に聴いています。 時には日常の雑感も。また、時には家族のコザクラインコの話も。ゆっくり、のんびりと。

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Op.193 シューベルト:「子守歌」D.867 by ディースカウ

今年もまた5月が廻ってきました。
ディースカウが逝去されたのが昨年、2012年5月。18日。
もう、一年になるのですね。
1年前に訃報を知った時は衝撃に近い気持ちを抱いたものです。
その衝撃は月日が経つうちに嘘のように消え去り
ディースカウは生き続けている、と感じるようになってきました。

あの日から一年・・・と思いつつ
久し振りにディースカウシューベルト歌曲を聴いてみたくなりました。
子守歌」です。


子守歌の想い出になりますが。
子守歌で最も懐かしく今でも聴こえてくるのは
父が歌ってくれた「坊やはよい子だ」という子守歌です。

   ねんねんころりよ おころりよ
   坊やはよい子だ ねんねしな
   坊やのお守りは どこ行った
   あの山超えて 里へ行った
   里のおみやに なにもろた
   でんでん太鼓に 笙の笛
   坊やはよい子だ ねんねしな


父は幼少の私を背に負い仕事をしながら
歌詞の「坊や」の部分を私の名前に代えて歌ってくれたものです。 

素敵な声でもなく、たぶん。
上手な歌でもなく、たぶん。
洗練された旋律でもなく。
でも私にとっては今でも最高の「子守歌」であり「歌」です。
すでに父はこの世にはいませんが
時の経過に関係なく、昔々のまま変わることなく
耳に響き聴くことができる唯一、永遠の歌。
いつか必ず訪れる自分の終焉。
その時にはこの歌で見送られたい、そのように思うこの頃です。


 
さてシューベルトの「子守歌」といえば
1816年作曲の有名な「子守歌」D.498 しか思い浮かびませんでした。
ディースカウシューベルト歌曲全集のブックレットの収録曲を見ていて
もう一つ、シューベルトの「子守歌」の存在を初めて知りました。

D.498の「子守歌」から10年後の1826年頃に作曲された「子守歌」D.867 です。
こちらの「子守歌」を聴いてみました。
はヨハン・ガブリエル・ザイドル

ザイドルと言えば、シューベルトの「白鳥の歌」のオマケ的な第14曲目の
「鳩の使い」が思い出されます。
「白鳥の歌」の中では最もお気に入りの曲ですので
こちらのザイドルの「子守歌」にも関心を抱きました。

       
               Johann Gabriel Seidl
                      Johann Gabriel Seidl
                  (1804年6月21日-1875年6月18日)
                    1841年のザイドルのリトグラフ 



この「子守歌」の作曲は1826年頃のようですので
シューベルト29歳でしょうか。
1828年11月19日にシューベルトが亡くなり
死後2日目に作品105-2として出版されたそうです。


              ディースカウ:シューベルト歌曲全集
               シューベルト歌曲全集byディスカウ

               ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
               ジェラルド・ムーア(P)

                      (録音:1969年)

5節からなるザイドルですが
ディースカウは第1,2節を歌った後に
第4,5節に移り第3節を飛ばして歌っているようです。
また、各節でのリフレインの多さに面白味も感じつつ
耳を傾けていました。

有名な「子守歌」に比し
こちらの「子守歌」はテンポも少し速く心なしか明るい印象を受けます。
簡潔に素朴な親しみを感じさせるピアノ・パート。
ディースカウは声量を抑え囁きかけるように。
飾り気なく語りかけるかのように伝わる歌唱が印象的です。
抒情性も織り込まれていて好感を抱く子守歌になりました。
久しく親しんできた D.498 の「子守歌」よりもお気に入りに。


シューベルとの歌曲を聴いている時に、いつも思い出す文章があります。
嘗て読んだ書籍で吉田秀和作曲家論集の「シューベルト」中の記述です。
1969年「芸術新潮」に掲載されたものだそうですので
44年前、かなり古い一文になりますが。

ディースカウがベルリン・ドイツ・オペラの一行と来日した時のことだそうです。
吉田氏とディースカウは特に親しくもなく個人的に話したのはこの時だけとのこと。
一緒に夕食をした後に同じタクシーに乗った時の短い会話だそうです。
会話については数年間を経て吉田氏の頭の中に刻みつけられ残った記憶をもとに
会話の概略を記述された、とのことです。
ディースカウとの会話は忘れられずにリートに関するどのような話よりも面白かった、
と氏は綴られています。
引用をさせていただくことにします。
(ディースカウをD. 吉田氏をY.として略)

D:「リートのための聴衆はどんどん減ってきつつある。
  アメリカにもほとんどいないしフランス、イタリアはもちろん
  ドイツでさえ人々はもうリートをあまり聴かなくなってきている。
  私の知っている唯一の例外は日本人だ。日本の聴衆は実にリートが好きだ。
  日本の聴衆を前にリートを歌うと彼らがよく共感し、強い関心をもって
  聴いてくれることが実によく分かる。
  どういうわけかしら?
  日本には、短い、形の小さい芸術、それでいて一瞬の中に永遠を見るような
  芸術が、過去に素晴らしい発達を見せていたという話だが
  そういうこととも関係があるのかしら?

Y:「確かにそれも事実に違いない。そのうえ日本人には心情の深さと真実を
  歌った芸術に対して特別の共感、敏感な理解を寄せる伝統が
  まだ生きているのかもしれない」

D.「それなら、それは実に素晴らしい能力だ。
  そのことと、日本人の勤勉というのとの間に、特別の関係があるんだろうか?」

Y.「そうか、あなたはドイツ人も勤勉だし、と言うつもりで、そんなことを言うの?」

D.「いや、ドイツ人の勤勉というのは、もう過去の話になった。
  恐らく私たちはまだ、物事を徹底的に考えたり、組織的に追及する傾向を
  まったく失ってはいないかも知れないけれども、それは勤勉というのは
  少し別の話だしね・・
  吉田、話してくれないか。日本人はどうしてドイツの、というより
  ロマンッティシズムそのものを理解できるのか?
  いや、私は日本人にシューベルトの歌曲が分かるのがおかしいと
  思っているわけじゃない。
  あれは、まったく人間的な芸術で、超絶的な宗教的なものでもなければ、
  まったく民族主義的なもの、ローカルなものでもないのだから。
  ≪冬の旅≫≪白鳥の歌≫のいくつもの歌、その他、彼の歌曲には
  あらゆる人間の胸の底に訴えるものがあるはずだ、と私は思っている。
  だが、日本人はシューベルトをどう理解しているのだろう?」
        (中略)
D.「・・・シューベルトの歌は、難しい。ドイツでさえ、いつまで生き残れるか。
  私はシューベルトのリートが今にも誰も歌わなくなり
  誰も聴く人がなくなるとは思わない。
  しかし、何かが変わって来ているのだ。
  それは、20世紀になって総じてリートの作曲が衰えてきているのと
  無関係ではないだろう。
  今、こういう芸術歌曲を創っているのは何処の誰か?
  また現代、芸術歌曲を歌う者は、どこにいるのか?
  現代の人が歌うものは、別のものではないだろうか?
  今は専門の歌手たちはリートより寧ろオペラで歌うので精一杯だ。
  教会の歌は、またシューベルトとは違う。
  シューベルトのリートは、かつては、皆の歌う歌だった…しかし
  日本という国が、東洋にあるのは、ありがたいことだ。
  今にシューベルトを歌おうと思ったら、日本に来なければならなくなるかもしれない」
  そう言って、ディースカウは最後に笑ったとのことです。



             わんぱぐさん:ライン、ブルーの鳥

                 子守歌:Wiegenlied D867
                (:ヨハン・ガブリエル・ザイドル


          なんとその小さなまなこに宿る無邪気な天国は
          眠気を負うと たやすく閉ざされるのだろう!
          目を閉じなさい 大地が誘惑する時には
          天国は内に 快楽は外に!

          おまえの頬は眠りながら なんて真っ赤に燃え立つのだろう!
          エデンのバラがそこに息を吹きかけている。
          おまえの頬はバラ おまえのまなこは天国
          晴れやかな朝 天上の昼!

          どれほど巻き毛の金色のウェーブが
          こめかみのあたりを涼しくしているか。
          美しい黄金の髪 その上の美しい輪
          月桂樹の夢を見なさい それがおまえに花咲くまで。

          可愛らしい小さな唇よ 天使がおまえの周りを吹き通う
          その中に無垢が その中に愛がある!
          それを変えずにいなさい 赤子よ 誠実に守りなさい!
          唇はバラ 唇は炎。

          天使をおまえの両手は どんなに掴んでいるのだろう
          それを掴んでいなさい 憩いへ行く時には!
          祈りによって 夢は美しくなる
          そして目覚めは 夢と共に報いてくれるのだ。

                               (訳:若林氏 引用)

         (原引用)
          Wie sich der Äuglein kindlicher Himmel,
          Schlummerbelastet, lässig verschließt!
          Schließ sie einst so, lockt dich die Erde:
          Drinnen ist Himmel, außen ist Lust!

          Wie dir so schlafrot glühet die Wange!
          Rosen aus Eden hauchten sie an:
          Rosen die Wangen, Himmel die Augen,
          Heiterer Morgen, himmlischer Tag!

          Wie des Gelockes goldiges Wallung
          Kühlet der Schläfe glühenden Saum.
          Schön ist das Goldhaar, schöner der Kranz drauf:
          Träum du vom Lorbeer, bis er dir blüht.

          Liebliches Mündchen, Engel umweh’n dich,
          Drinnen die Unschuld, drinnen die Lieb!
          Wahre sie, Kindchen, wahre sie treulich!
          Lippen sind Rosen, Lippen sind Glut.

          Wie dir ein Engel faltet die Händchen,
          Falte sie einst so, gehst du zur Ruh’!
          Schön sind die Träume, wenn man gebetet:
          Und das Erwachen lohnt mit dem Traum.


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Comment

Re: ディースカウ氏がお亡くなりになってからもう一年ですか

burleskeさま、こんばんは。
コメントをありがとうございました。

引用をさせていただいた吉田氏の文章は、何と言っても44年前に掲載されたものだそうですので、現状ではさすがのディースカウも当時とはまったく違った思いを抱くしかないかも知れませんね。
欧米並みに日本でもリートの聴衆は減退し、関心を失っているのが現状のようですし。
吉田氏の記述で心に刻まれ、シューベルトの歌曲を聴く時、思い出すのは
「彼の歌曲にはあらゆる人間の胸の底に訴えるものがあるはずだ、と私は思っている。だが、日本人はシューベルトをどう理解しているのだろう?」
との部分でした。
この文章に出合ってから自問自答しながら聴くようになりました。

D.867に関してはクリスティアン・シェーファーのCDもあったのですが・・・第3節を歌っているのか聴いてみますね
ディースカウが第3節を歌わなかったのは何故だったのでしょうね。
D.304はJohn Mark Ainsleyというテノールが手持ちにあるのですが、ディースカウのD.867だけに絞ってしまい(手抜き?)をしてしまいました。
これから聴いてみることにしますね。
  • posted by lumino
  • URL
  • 2013.05/19 20:18分
  • [Edit]

ディースカウ氏がお亡くなりになってからもう一年ですか

ディースカウ氏がお亡くなりになってからもう一年ですか。
早いもんですねぇ。
ディースカウ氏と吉田氏の会話は僕も読んだことがありますが、今でも日本の聴衆にこのような感想を持っていただけるんでしょうか?
残念ながら昔ほど歌曲は聴かれていないように思えますが・・・

D.498の《子守歌》は有名ですが、D.867も良いですね。
ディースカウ盤の他にヤノヴィッツ&ゲイジ盤を持っていますが、こちらは情感豊かにたっぷりと歌った演奏で、第3節も省略しないで歌っています。

シューベルトの《子守歌》には他にケルナーの詩によるD.304があるらしいのですが、DGのディースカウ盤には収録されていないみたいです。
こちらも聴いてみたいですね。
  • posted by burleske
  • URL
  • 2013.05/19 12:27分
  • [Edit]

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